自然のなかの”いのち”

自然を観察し、その中に溶け込んでいくと

自分が握りしめていた“価値観”も変化していくように思うのは、わたしだけでしょうか?

今日のテーマは“いのち”なので

そのことについて、書き出してみようと思います。

生きていたい!

その感情は人として当たり前なものだと思います。

わたしも、娘を妊娠中に

「子宮筋腫があり、悪性の可能性もあるが妊娠中は検査できない。」

と、検診で言われた時には娘の成長が見れない可能性が頭をよぎり、まだ死にたくはないなぁとホロっときました。

逆に、産後うつの時期には

初の子育ての辛さや体の辛さが相まって

死にたいなぁとも思ったり。

人間というのは生きたいと思えたり、死にたいと思たり

本当に全ての可能性が開かれた存在ですね。

そんな育児真っ只中からは抜け出しつつあるこの頃、

本職である環境再生業に割ける時間も増えてまいりました。

自然と対話し、観察し、その一部となっていく感覚で仕事をするのが環境再生業。

その中で思い出した感覚があります。

自然の死生観

声なき声を聴きとる仕事ですが、植物からは

「生きたい!」とも「死にたい!」とも言われたことはありません。

彼らはただただ “今に在って”、それでいて大きな循環の中に生きていることを自覚しているように思うのです。

生まれたての幼木にも、大きくなった木々にも、落ちた葉にも、朽ちた体にも

全てに意味があって

全てが循環の中で活かされていく。

死んでも何ひとつ無駄にならず、

元あった自分は誰かの栄養になって、自分の子孫がどこかで命を繋いでくれている。

彼らはそれを識っていて

最大限の生を全うするのだけれど、決して死を怖がっていない。

自分が循環の中にいること=永遠のサイクルの中にいること

を分かっているから安心して今に在り、死を受け入れている。

わたしたち人間も同じだよなぁ

と、彼らと話していると感じます。

自分が天命を全うし、この星の循環を信頼することができていたら

きっと「死」は怖いものではなくなるはず。

567などで、皆さんも「死」やそれに至らしめる「病」というテーマに向き合わされたのではないでしょうか。

健康であるために何ができる?

何のために健康で在りたいか?

どう暮らし、どう死にたいか?

わたしはそんなことを、自然との対話で考えさせられるのです。

あなたの中に、答えはありますか?

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